2015年11月15日(日)勉強会のご報告

2015年11月15日(日)10時-12時に、11月の東京のIPS勉強会がありました。 

この日は13名のご参加があり、お久しぶりの方、はじめての方、おなじみの方が、地域としては山梨、長野、愛知の方もご参加くださいました。

この日も神田さんに太極拳をリードしていただき、五禽戯の鳥と熊と虎(たぶん)を体験しました。 こう言ったり書いたりしてしまうと、 その動きを学んだんだな、とか、五禽戯ってなんだ?とか、
頭が動いてしまう感じがしてしまうかもしれないのですが、
たぶん、私が体験したのは、 身体を感じる、心も身体もゆるめる、など
だったんだろうな、と思います。 

意図的なピアサポート(intentional Peer Support: IPS)でしたいのは、
頭で理解するんじゃなくて、感じること、なんだろうな、と
しみじみと感じるようになった 今日このごろで、
このところの東京勉強会では、その、頭じゃなくて、感じる、ということを
どんなふうにすると体感できるかなーといろいろ体験してみている、
そんな感じなのだと思います。 

後半は、 学習した反応としての自殺傾向(4巻_p.16-17)について、でした。
死にたい思い、死にたいと言われた時の思い、頭をよぎることなどについて
話をしました。
学習した反応としての自殺傾向(4巻_p.16-17)挑戦的な会話について話す時、これはいつも大きな議題になります!間違ったことを言うと、もしかしたらこの人は・・・。私たちは、自殺しないように説得したくなります。私たちは、自殺は感情ではなく、行為だということを忘れています。

説明させてください。こういう展開がよくあります。「死にたい」と人が口にすると、従来のやり方では、ここで自殺傾向の診断が始まります。会話は「計画がありますか」というものに直進します。この時点で、返答は次の二つのどちらかに行くしかありません。はいと答えれば、緊急介入を意味し、いいえと答えれば、安全の契約に進みます。どちらも、この人は何かを感じている、という事実についての話にはなりません。

では、人々は、どのように自殺を感情として話すようになったのでしょう? まあ、私がとてもひがみっぽい時は、その人たちを援助する立場にいるはずの人たちから学んだのだと答えます。それほど、ひがみっぽくない時には、より大きな文脈について考えます。たとえば、その状況に「出口」がない時(家庭内暴力など)、自殺は、その人がコントロール出来る唯一のことで、逆説的に、それが安全・安心の感覚を与えます。ともすると、多くの人にとって、自殺について考えることは依存症になっています。あるいは、少なくても、癖になった反応です。

私たちの多くはまた、「死にたい」と言うことで、「ひどい苦痛を感じている」と言うのでは得られないふうに、人々が耳を傾けてくれることを学んできました。人々と(そして自分自身と)このような関係性の刃の上にいることが、とても強い感情を伝えるやり方のパターンになり、それはある非常に特殊な会話を作り出します。

  • 死にたいという人にあなたはどう言うでしょう? もし誰かがあなたにそのように言ったとしたら、あなたはどう答えるでしょうか?


「自殺」や「死」について話すことを避けてしまう場面もあるとは思いますが
こんなことを言ったらきっとこう言われる、こう反応される、こうされる、というところから
少し離れて話をできる場はありがたいな、と思いました。

【次回勉強会】 
日時:2015年12月20日(日)10:00-12:00
場所:東京大学医学部3号館S102 (いつもの部屋)
地図:http://bit.ly/hVR5pV